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Exhibition Vol191 [Day by day]

Day by dayから。
「あの時。」から。
八月十五日 正午


妻を田町の仕事場へ送る。空を見上げると青空。そうか今日は8月15日、朝からメディアは靖国参拝一色。

カメラのデートをON!。皇居へ向かう。新橋を過ぎたあたりで雨、またかと思い。

4丁目交差点で、和光の時計台を見ると、カメラの時間が2分遅れ。修正する時間が無い。

携帯で時報を聞きながら、車をコインパーキングへ止めて走る。

いつの間にか、青空が広がっていた。


nikon coolpix 4100
到着。本当は二重橋まで行くつもりだったが、携帯の時報が正午を知らせた。

Day by dayから。
「無言館。」

去年、東京ステーション・ギャラリーで、戦後60年 無言館 「遺された絵画」が開かれた。気になっていたのだが、結局、気ずくと終了してしまっていた。NHKの日曜美術館で「無言館」の事は知っていたのだが、東京で見れる大切な機会を失ってしまった。今年の春、妻と信州を旅行した。妻がいつも旅の段取を決めるが、二泊目は鹿教湯温泉との事、「無言館」が頭に浮かんだ。鹿教温泉から、国道254を上田方向へ、平井寺トンネルを抜け、来光寺池を左折、別所丸子線で前山寺をめざす。前山寺の手前の小高い丘の上に無言館はあった。

写真では、建物の形を見せられないので、鳥の目でスケッチした。丘の頂上に十字架の形で、コンクリート打ちっぱなしの美術館が建つ。大きな扉を開けると、すぐ展示室。中に入ると、その建物が十字架の形である事が明確に理解できる。壁には画学生達が出征前に描いた作品が並び、作者の紹介文と何処で戦死したか、家族や恋人へのメッセージが添えられている。入ってすぐの所に、未完の裸婦像が掛けられていた。作者は日高安典。「あと5分、あと10分、この絵を描きつづけたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから・・・・・」安典はモデルをつとめてくれた恋人に、そう言い残して戦地に発った。しかし帰ってこれなかった。(無言館より。)弟さんが、この無言館の創設者、窪島誠一郎さんに語った。「もし、あなたの美術館がお国の美術館だったら、私は、きっと兄の絵をあずける気にはならなかったでしょう、なぜなら、安典はそのお国の命令で戦地へ行ったんですから・・・・・。」(無言館より。)

無言館―戦没画学生「祈りの絵」

無言館―戦没画学生「祈りの絵」

  • 作者: 窪島 誠一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1997/07
  • メディア: 単行本

PS-nice!は無理しないでください。アップしてからも迷て、後からPS入れている事お許しください。コメントがあればよろしくお願いします。


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nice! 15

コメント 20

春に熊本でもこの「祈りの絵」たちの美術展がありました。
残念ながら行きそびれたので、私も一度ここを訪れたいと思っています。
毎年、いろいろな思いが交錯する日ですね。
by (2006-08-15 19:20) 

小野寺榮一

*sui*さん
ありがとうございます。今日の記事アップするか、迷いました。春の旅で、妻を連れて行ったら、二人でしばらく口が聞けませんでした。写真も撮影したのですが、何も気持ちが写りません、そのうち忘れていたのですが。今日、朝からの騒ぎを見て、何やら自分の気持ちの中で膨らんだ思いがどうしようもなくて、アップしました。
by 小野寺榮一 (2006-08-15 19:25) 

いつもと違う感じ、伝わりました。
by (2006-08-15 22:55) 

tm-photo

たくさんの「心残り」や「遣り残したこと」が眠っているんでしょうね。
やりきれないですね。
by tm-photo (2006-08-16 08:55) 

kk123456

もの思う時間となりました。
伝えて行きたいです。
by kk123456 (2006-08-16 10:27) 

きりきりととと

スケッチいい感じですねー。
by きりきりととと (2006-08-16 11:14) 

小野寺榮一

gonさん
ありがとうございます。朝の騒ぎを見ていて、なにやら、やりきれない気持ちが湧いて来てしまいました。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 14:05) 

小野寺榮一

無言館の遺品のケースの中に戦地で描いた絵もありました。思いを常に持ち、死の瞬間まで、描きたい気持ちを忘れなかったのでしょうね。どんな時も表現を自由に出来る今の私たちは、本当に幸せなんですね。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 14:15) 

小野寺榮一

けい さん
そうですね、心の隅にしまっておいてくださいね。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 14:18) 

小野寺榮一

hyperbomberさん
ありがとうございます。お恥ずかしいのですが、ここでは写真が写らず、撮影する気にもなりませんでした。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 14:20) 

concretephotograph

60年前と同じ空なんでしょうね。ぼくも撮りたかった。
by concretephotograph (2006-08-16 18:15) 

kobekko

昨日、阪神甲子園球場に行き、正午のサイレンとともに黙祷しました。
戦時中、今のアルミ合金製の銀傘になる前の鉄傘が外され、戦争に使われたそうです。
by kobekko (2006-08-16 20:36) 

小野寺榮一

kobachiさん
そうですね。同じ空かもしれません。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 21:47) 

小野寺榮一

ボニビンさん
その話、面白いですね。テーマになるのでは。その記憶を遺している、人物を取材したら、当時の甲子園の姿、野球に夢掛けた人々の何か、浮かび上がるかもしれませんね。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 21:51) 

offbeat

皇居のお堀ですか?? 懐かしい~!!
1年ほど前にそちらに行った時、この辺うろうろしてました/笑
by offbeat (2006-08-16 23:31) 

chi-ran

わたしの年代では戦時の話がどんどん薄れます。 記憶ではなく追想でしか
感じれませんが、こうやって毎年感じられることが日本人の良いところかしら
と思います。 考えられる記事。 ありがとうございます^^ 
by chi-ran (2006-08-16 23:51) 

小野寺榮一

boonblueさん
すいません。順番間違えました。
nice!ご訪問ありがとうございます。
by 小野寺榮一 (2006-08-16 23:58) 

小野寺榮一

snappyさん
この辺り、写真撮っていると、おまわりさんに、必ず、職務質問されます。
by 小野寺榮一 (2006-08-17 00:01) 

小野寺榮一

そうですね。私も戦争の事、あまり理解していないですね。ただベトナム戦争の時、立川に住んでいたのですが、基地の周りの騒然とした空気感、今でも覚えています。反戦運動が盛り上がり、新宿では反戦フォーク集会が開かれ、大騒ぎでした。高校生の私には理解出来ず、アメリカ文化を崇拝し、考える事しませんでした。本当の意味で理解出来る人など、いないかもしれませんね、それぞれの理由、それぞれの立場で、皆、異なる考え方があるのですね。
by 小野寺榮一 (2006-08-17 00:17) 

JOY

教科書には載っていなかった戦時中の人々の想いが、たくさんあるのでしょうね。。もう亡くなってしまった祖父祖母に話を聞きたかったです。
いろいろ考えさせられました。ありがとうございます。
by JOY (2006-08-19 21:32) 

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