Exhibition Vol234 [Man's Land]
Landscape Vol184
Man's Land 1998
「記憶の大地」 Vol 2
「闇米」を知ってますか?この言い方は好きでは無いのですが、本当の意味で新米を私たちが食べれるようになったのは、つい最近かもしれません。そのスタートが、この大地です。戦後の食糧難を早く緩和するため、国際銀行から資金を調達、大事業が昭和27年に始まりました。日本人の主食を確保するために。しかし、やっと安定した生産が始まると、政府の減反政策が始まります。
国が主導した大農場、入植者達は減反に反対しましたが、結局、受け入れるしか有りませんでした。その後、闇米を生産する物が現れ、この大地は二分されました。
ここから米を外部に持ち出せないように、当時、警察の検問がいたる所で実施されたそうです。
水田に水が入れられる。
田植えが始まる。
男鹿半島の付け根、寒風山頂上から八郎潟の中心を望む。田植えも終わり、人々は今年の豊作を願う。
Linhof Technorama 612 PC Super Angulon 65mm Sinar f Nikkor 500mm RVP Sinar ND Gradation
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翻弄された歴史ですね。
by (2006-09-26 14:33)
闇米を食べずに「法」を貫いた裁判官の話を思い出しました。
タイ米の輸入の頃に減反政策や食糧自給率の問題点がいろいろ取り上げられましたが、今は全く聞かなくなりましたね。
by (2006-09-26 16:16)
ここら辺は少しまじめに考えないといけないような気がします。
by (2006-09-26 17:07)
いつも何気なしに食べてるのが、いわゆる「闇米」なんですよね。
農家の親戚から、市場価格より安くでわけてもらえるわけです。
しかも一昨日、「古米食べきれんかったから」って30kgもらった。
新米が遠のいたけど、コシヒカリだから許す。
by mine (2006-09-26 18:10)
八郎潟ですが,自主流通米の時も話題になりましたねぇ。
by ccq (2006-09-26 20:31)
凄く広い田んぼですね。作業の効率化も考えてのことでしょうが、日本ではないような広さ。でも本当に日本人として考えなければならないことですよね。。
by JOY (2006-09-26 21:29)
僕の故郷は農家が多いので、リアルな話をよく聞きました。実は父も農政局の干拓事業に関わっていたりしました。でもその結実として、コメの価値を高めるためにのブランド米なんかが登場してきたのかなと。そしてそれは買おうと思えば誰もが買える。しかしやはりコメというのは日本人には無くてはならない、原点といえる食材であることには変わりないですね。
by (2006-09-26 21:42)
私の家は代々、江戸時代から東京なので、自分の田舎といふものがありません。それで、子供の頃は、お手伝いさんの田舎に何度も行かせて貰って農家の生活を少しかじったものでした。今でも懐かしく憶ひ出します。その頃、電車の中で大きな荷物を背負った農家のおばさんたちが、時々捜査官か警官に取り調べを受けて駅で降ろされてゐるのを見て、ショックだったことがありました。
by Abraxas XIV. (2006-09-27 20:55)